唐突にフレンチクルーラーが食べたくなった。


特別好きってわけではないのだが、新聞に挟まっていたチラシに躍る“ドーナッツ全品100円!”の文字を見て、舌が記憶しているその味(多分二割増しぐらいで美化されている)が急に恋しくなったのだ。
家から微妙な位置にある、あのドーナッツのチェーン店。

「あいつの家からなら近い」
そんなことを思い出して、床に落ちていたクッションを踏みつぶす。あいつもこのクッションみたいにぐしゃぐしゃになればいいのに。課題がなんだ、テストがなんだ。それが三日も連絡よこさない理由になっているとでも思っているんだろうか。あいつは私の恋人じゃないのか。
別に嫌われてもいい。初めに好きって言ってきたのは向こうの方だし、年下だからって甘えてくるのも鬱陶しい。むしろ、嫌われた方が気楽だ。それでも、こんなに腹が立つのは、自分勝手な行動が許せないから。ただ、それだけ。

机の上に置きっぱなしの携帯電話を拾い上げて、アドレス帳の一番はじめに登録してある番号に電話をかけた。三回目のコールで、聞き慣れた低い声がする。「ごめん」だとか、「埋め合わせ」はだとか言う声が聞こえたが、無視する。言い訳なんて聞く必要はない、寂しくなったから電話したわけでもないのだし。
「フレンチクルーラーが食べたい」とだけ言って、電話を切る。返事は聞かない。

きっと、三十分もすれば、あいつはドーナッツの包みを持ってやってくるだろう。気を利かせずにフレンチクルーラーだけ買ってきたら殴ってやろうかな、なんて考えながら食器棚から二組のティーセットを取り出した。仕方ないから、紅茶でも入れてやろう。

結局ドーナッツは口実でしかなかったのだ、と気づいたけれどあいつには絶対に教えない。とりあえずお湯が沸くまで妙にゆるんだ顔を何とかしようと頬を両の手でぺちん、と叩いた。

(会いたくなんか、ない)