目を開けても、何も見えなかった。自分の部屋がここまで暗くなったのは初めてだ。手探りで照明のスイッチを探したが、もう電気なんて通ってないことに気づき、代わりに重苦しい遮光カーテンと窓を開ける。ひんやりとした外気が心地よい。
「生きてるんなら出てこいよ」
電池式のランタンを持った男が手を振る。知らない奴だったが、とりあえず床に落ちていたジャケットを羽織って外に出た。
男はにやにやしながら近づいてきた。
「よぉ。お前不適合者か? 」
「ここにいるってことはお前もそうなんだろ」
彼はへらへら笑って、親指で後ろを指さす。
「それはどうでもいいさ。それより、ちょっと手伝ってくれねえか? 」
「何を? 」
「来ればわかるさ」

彼が向かった先はどこかの家の納戸だった。奇妙なことにその扉は外からおびただしい数の粘着テープで目張りされていた。何かを隠しているのだろうか。
「ぼうっとしてないで、早く手伝えよ」
テープを剥がしながら、男が言う。色々思うところはあるが、とりあえず手伝うことにした。テープと扉の間に爪を立てながら、何気なく彼の横顔を見る。派手な茶髪だが、整った顔立ち。不適合者には見えない。心なしか、動作にも品がある気がする。
「オレの顔になんかついてるか」
彼が軽く睨め付けてくる。気まずくなって、テープを剥がす作業を黙々と続ける。
「開けるぞ」
テープを全て剥がし、ドアノブを捻る。鍵はかかっていなかったらしく、簡単に開いた。彼がランタンで納戸の中を照らすと、大小二つの影が動くのが見えた。
「……おかあさん?」
か細い声がした。小さい影が助けを求めるようにこちらへ近づいてくる。しかし、大きい影がそれを制す。
「違う。お母さんは私達を捨てて、遠いところに行ったんだ」
「遠い所って?」
「それは……」
そんな二人の会話を黙って聞いていると、彼が静かに口を開いた。
「出ておいで、お嬢ちゃんたち。この星はもう滅びるんだ」

髪の長い女の子が小さな男の子の手を引いて出てきた。女の子は中学生ぐらい、男の子は五歳ぐらいだろうか。彼女は凜とした瞳でこちらを見すえた。
「やっぱり、もう船は出て行ったのですか? 」
彼女がおそるおそる尋ねた。
「ああ」
彼はためらいもなく答えた。彼女は唇を真一文字に結び、きょとんとこちらを見る男の子の手を震えながら掴んだ。目には涙が浮かんでいたが、彼女は泣かなかった。立派だと思う。俺は不適合者だと知らされたとき、一生分の涙を使い果たしたのに。
「助けてくれて有り難うございます。私はニナ。こっちは弟のユキ」
彼女は深々と頭を下げて言った。俺たちは顔を見合わせる。
「オレはノア」
「俺の名前はタツ」
そういや、俺たちは自己紹介すらしてなかったな、と今更になって気づいた。

ノアを先頭にして、俺達はアヒルの親子のように歩く。何処に行くかは知らないけど、とりあえず歩く。
「私達は母親に虐待されていました」
ぽつり、ぽつり、とニナが自分の境遇を語り出す。自分と弟の父親が誰か解らないこと。母親は気性が激しい人で、気に入らないことがあったら、彼女達に煙草の火を押しつけたり、食事を抜いたりしたこと。母親は彼女達を閉じこめて船に乗ってしまったこと。それでも、いつかは迎えに来てくれると信じていたこと。彼女の発する言葉一つ一つが夜の冷たい空気の中に響く。
彼女達のような子供が、不適合者となることはない。俺のような駄目な奴と違って、どんなに今が辛くても明るい未来があったはずなのに。そう考えると枯れたはずの涙がじわじわとわき出てくる。これじゃ、彼女達に面目が立たない、と思ってあわてて親指で雫を拭き取った。

かなり長い時間歩いた気がする。普段あまり運動をしない俺は大分息が上がっている。ユキは途中からノアに背負われて、船を漕いでいた。ニナも口には出さないが、疲れた顔をしている。
そして、ようやくノアが白い大きな建物の前に立ち止まった。
「着いたぞ」
「ここは? 」
ニナが恐る恐る尋ねる。 「船を開発した研究所だ」
ノアは何の陰りもない笑顔で、そう言った。

俺達を置いていった奴らのアジトに連れてくるなんて、無神経だとも思ったが、ここには食料も水もあったし、自家発電装置もあったので、灯もついた。ここで最期の一時を過ごすのもまあ悪くはないだろう。
「シャワー空きましたよ」
ニナがタオルで髪を拭きながら部屋に入ってくる。後ろには眠そうな目をしたユキもいた。彼女達にとってはこれが何日かぶりの風呂らしい。彼女が机の上の料理を見つけて嬉しそうに顔をほころばせる。
「おいしそう! これ、タツさんが? 」
「ああ。あり合わせを適当に調理しただけだから、期待はするなよ」
それでもニナはすごいすごいと手を叩いて喜ぶ。ユキまで、真似をして手を叩いている。人に褒められたのなんて、何年ぶりだろう。なんだか照れくさくなって頭をぼりぼりとかく。
「さあ、飯にするか」
建物を徘徊していたノアがふらりと戻ってきた。こいつのペースにのせられっぱなしなのは癪だったが、腹は減っていたので席に着く。いただきます、とみんなで行儀良く手を合わせて食べ始めた。
「うめえ」
炒飯を一口頬張ったノアがぽつりと漏らした。
「お前さん、コックかなにか?」
「いや、素人だ」
「でも、本当においしいです」
「おいしいよ」
口々に褒められて、頬が熱くなるのを感じた。コックを志していた時期もあったなあ、としみじみと思い出す。もし、あのまま料理の勉強を続けていたら、俺の人生はもっと別なものになっていただろうか。

「おい、あれ見ろ」
ノアが指さした先には大きなモニターがあった。ここに入ってきた時にはそれは確かに消えていた。けれど、今はぱちぱちと点滅を繰り返している。四人とも箸を止めて、無言でモニターを見ている。点滅の間隔は短くなり、やがて見覚えのある顔が映った。
「大統領……」
ニナが目を丸くして呟く。画面に映っていたのは、この星の全ての権力を握る男だった。

『君たちに頼みがある』
ノイズ混じりの声が聞こえる。俺達はこの声を何度も聞いたことがある。ノアは人差し指で机をとんとんと叩き、モニターの脇に置かれたカメラと電話が融合したような機械を一瞥する。どうやら、あれが大統領のいる船と俺たちを繋いでいるようだ。
『船が誤作動を起こしている。このままでは軌道がずれ、この船に乗っている多くの人が死ぬだろう。けれど、君たちに研究所から船の軌道を修正してくれれば皆が助かる。お願いだ。君たちは皆の希望だ。引き受けてはくれないか? 』
言葉がとぎれた後も彼の視線は俺達に向けられて、逸らされることはない。どうしようもない怒りが沸々とわいてくる。ニナの方を盗み見ると、彼女もまた唇を噛みしめ、ユキの手を強く握っていた。
椅子の倒れる音がした。ノアが立ち上がり、機械へとつかつかと歩んでいく。へらへらとした笑いはもう、消えていた。
「お前らが何人を見捨てたか考えてみろ」
彼は冷酷な声で言い放って、機械を床に叩きつけた。バチバチと火花が散って、やがて機械は静かになった。それを見届けると、ノアは部屋を出て行った。

「ノアさんは皆を助けに行ったんでしょうか? 」
ニナが言った。彼女はユキの肩を抱きながら、穏やかに笑った。
「さあな。そもそも、あいつ軌道修正できんのかな? 」
「解りません。でも、ノアさんはやってくれる気がします」
なんとなくですけどね、と彼女は舌をぺろり、と出した。そうかもしれない。彼は優しい男だから。
窓の外を見ると、夜空にたくさんの星がきらきら光り輝いている。
「世界が終わるまで、星でも数えてようか」
ニナとユキはこくり、と首を縦に振った。

きっと、この星にも、この星にぶつかってくるもっと大きな青い星にも、俺達みたいに取り残された奴らがたくさんいるのだろう。その中には俺みたいな奴も、ニナやユキみたいな子も、ノアみたいな野郎もいるに違いない。そいつらは今何をしているのだろう。どんな気持ちなんだろう。そんなことに思いを馳せながら星を数える。

俺は今、幸せだ。