コーヒーメーカーのたてるシュウシュウという音と香ばしい匂い。
僕は戸棚の中から貰い物の上等のクッキーを取り出しながら、小さなテーブルの前にしかれた座布団の上に行儀よく座る男を一瞥した。
何故、姉はこんな男を選んだのだろう。姉は美人で優しくて、しかし、おっとりとしていてどこか危なっかしい。だから、僕は彼女に悪い虫がつかないように必死になっていたのだが、姉が結婚相手として連れてきたのは十歳年上の頭の中身まで筋肉で構成されていそうな無骨な男だった。
彼の裏表のない誠実な性格には好感がもてたし、何より姉の選んだ相手だから、結婚については異論はない。
けれど、彼が僕の義兄になるという事実には少々戸惑っている。
正直、彼みたいな人種は苦手だ。

「はい、どうぞ」
二人分のコーヒーとクッキーをのせたお盆をテーブルの上に載せて、彼の目の前に座る。
ありがとな、と彼は軽く頭を下げて、コーヒーを一口すすった。
「姉さんはまだ帰ってこないよ?」
婚約者の帰宅時間も知らないの、と言外に皮肉を込めて言う。
しかし、彼の返答は意外なものだった。
「違う違う。用があんのはお前にだ」
「僕に?まさか口説くつもり?」
「お前なぁ……」
「あ、ごめんなさい。それはともかく用事って?」
彼があんまり真面目な顔をして言うので、少しからかってしまったが、内心は結構驚いている。
「えーと、味噌汁の作り方教えて欲しい」
「味噌汁?」
そんなの料理の本見ればいいじゃない、と言うと、彼はそうじゃなくて、と首を振る。
「お前ん家の味噌汁。あいつ料理下手だから、俺が作ってやろうと思って」
ああ、と口から情けない音が漏れる。姉さんとこの人は結婚するんだな、と解ってたはずのことがいきなりぐりぐりと心の中をえぐり取ってきた。寂しいのか嬉しいのかすらも解らなくて、ただ泣きたかった。

「教えてやらない」
しばしの沈黙の後、そう答えた。
「味噌汁ぐらい自分たちのを作りなよ。せっかく夫婦になるんだからさ。でも」
いったん言葉を切って、声が震えていないのを確かめる。大丈夫、いつもの僕だ。
「どうしても飲みたいなら、うちに来ればいい」
彼は面食らったような顔をしたが、やがて、微笑みながら言った。
「そうだな。家族だもんな」
発見。この人、こういう表情すると結構可愛い。

コーヒーが冷めた、ということにしてキッチンに向かった。
二人の結婚式は四月。僕は目を瞑って、想像した。桜の舞う中、純白のドレスを着た綺麗な姉さんと似合わないタキシードを着た義兄さん。そして、悔しいような寂しいような微妙な表情をした僕。

「苦手だけど嫌いじゃないよ、義兄さん」
向こうにいる彼に気づかれないようにそっと呟く。

キッチンはただ、コーヒーの優しい香りで満ちていた。